大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

東京高等裁判所 昭和29年(う)3473号 判決

控訴人 被告人 小堀功

弁護人 大政満

検察官 吉岡述直

主文

本件控訴を棄却する。

当審の訴訟費用は被告人の負担とする。

理由

本件控訴の趣意は被告人及び弁護人大政満作成の各控訴趣意書の通りであるからこれを引用し、これに対し当裁判所は次のように判断する。

論旨は被告人は居村下江川中学校教諭として職業科を担任し職業指導のため、自動車運転免許申請中であつたが、同校の行事である臨海学園開設準備のため現地視察に赴く途中、運転の資格を有する同校教諭佐藤超より運転技術の指導を受けながら約五百米を運転したもので単独で運転したのではないと主張する。なるほど原判決挙示の証拠によると被告人が原判示自動車の運転をした際、その傍に運転の資格を有する佐藤超が同乗していたことは認められるが、しかしたとえ運転の資格を有する者が傍に同乗していて、その者から運転技術上の指導を受けながら運転したとしても自動車の運転をしたことには変りがないのである。次に論旨は栃木県では自動車の運転の免許申請者が免許を受ける迄の間に練習する場所が定まつていないので、何処でも自由に練習することを認め、試験の時だけ試験場で試験することになつている実情であると主張するが、かかる事実は記録上これを認め得べき証拠がない。更に論旨は道路交通取締法第七条第一項には車馬又は軌道車の操縦者は無謀な操縦をしてはならないと規定し、その第二項において無謀な操縦の定義を掲げているが、無謀操縦を犯罪として処罰する所以のものは、正常安全な操縦ができない危険がある場合ないし正常安全な操縦を怠つている場合の操縦を取締る趣旨であつて、形式的に法令に定められた運転の資格を持たない者の運転であつても、人通りの少い場所での運転、有資格者の指導の下における運転、又は本人の運転能力等を綜合して、かかる正常安全な運転ができない危険がない場合には無謀操縦には該当しないと主張する。

しかし道路交通取締法第七条第二項においては無謀な操縦とは左の各号の一に該当する行為をいうと規定し、その第一号ないし第五号に列挙した行為を以て無謀な操縦としているのであつて、同項各号の行為はいづれも一般に交通の安全を害し危険発生の虞ある行為であるからこれを禁止しているのであり、同項第二号において法令に定められた運転の資格を持たないで諸車又は軌道車を運転することを無謀な操縦として禁止しているのは、若し法令に定められた運転の資格を有たないで諸車又は軌道車を運転する者があれば、交通上如何なる危険が発生するやも図り難いので、自動車の運転をする者には自動車運転者試験を行い、これに合格した者に対し運転免許証を交付し、この免許証を有する者のみに運転を許可し、以て道路における危険の防止及び交通の安全を図らんとするにあるのである。故に法令に定められた運転の資格を持たないで諸車又は軌道車を運転することは、それ自体交通の安全を害し危険発生の虞ある行為で無謀な操縦なのである。所論のように一、一具体的に正常な運転ができない虞があつたかどうかによつて無謀な操縦であるかどうかを判断すべしとする見解は、結局自動車運転の免許制度を否定すると同様な結果になり賛成し難い。要するに原判決挙示の証拠を綜合すると原判示事実はすべて優にこれを認めることができ、記録を精査するも原判決には所論のような事実誤認ないし法令適用の誤は存しない。論旨はいずれも理由がない。

よつて刑事訴訟法第三百九十六条に則り本件控訴を棄却し、当審の訴訟費用は刑事訴訟法第百八十一条第一項本文によりこれを被告人に負担させることとし、主文の通り判決する。

(裁判長判事 大塚今比古 判事 工藤慎吉 判事 渡辺辰吉)

弁護人大政満の控訴趣意

原判決は判決に影響を及ぼすことが明かな法令の適用の誤りがあつて破棄を免れない。

原判決は「被告人は法令に定められた運転の資格を持たないで、昭和二十九年六月九日午前十時頃栃木県那須郡小川町大字東戸田地内道路において、小型自動四輪車栃第四―七六一号を運転して、無謀な操縦をしたものである」と摘示して道路交通取締法第七条第一項、同条第二項第二号、第九条第一項、第二十八条第一号を適用して被告人を科料八百円に処している。処で道路交通取締法第七条は、第一項において「車馬又は軌道車の操縦者は無謀な操縦をしてはならない。」と規定し、その第二項において「前項において無謀な操縦とは左の各号の一に該当する行為をいう。」と無謀操縦の定義を明かにし該当行為五を挙示している而して右五の該当行為が犯罪として処罰される所以のものは、無謀操縦の字義通り、正常安全な操縦ができない危険がある場合ないし正常安全な操縦を怠つている場合の操縦行為なるが故である。従つて形式的には法令に定められた運転の資格を持たない者の運転であつても、該運転場所の状況、同乗の運転有資格者の指導の下における運転、運転能力等の諸事情から綜合検討して、正常安全な運転ができない危険の存在しない場合には無謀操縦とはいえず、処罰の対象から除かれているものと解すべきである。このことは、第七条第二号の無免許運転禁止に次いで規定されている同条第三号「前号の外、酒に酔いその他正常な運転ができない虞があるに不拘、諸車又は軌道車を運転すること。」の「酒に酔い……………運転すること」とは酒に酔つて正常な運転が出来ない虞があるに不拘運転することの意味であつて、酒に酔つて運転すること自体が正常な運転ができない虞の有無に拘らず、直ちに処罰の対象になるという意味ではないという点から考えても首肯し得られるところである。(札幌高等裁判所昭和二六年(う)第二〇二号、同年五月二八日判決、高裁刑集第四巻第五号第五一七頁「道路交通取締法第七条第二項第三号にいわゆる「酒に酔い」とは、飲酒の結果、急性アルコール中毒症に陥り諸車又は軌道車の正常な運転ができないおそれがある程度に達している状態をいう。参照)。

これを本件運転行為について考察してみるに、(1)  運転場所は人通りの少い県道上であつたこと(これは証拠に掲記されている司法巡査作成の犯罪事実現認書(記録第三〇丁)記載の略図により認められる。)(2)  運転有資格者たる同僚の佐藤超が側におりその指導の下に運転していたもので被告人の運転行為は右佐藤の運転支配下に包括されていたものであつたこと(被告人の公判廷における供述)。(3)  被告は中学校の社会科職業科担任教諭であつて、然も校庭で運転練習をなし運転能力を有すると考えられること(被告人の公判廷における供述)。等の状況の下における運転であつてこれらの事情を綜合すればその運転行為は正常な運転ができない危険の存在しなかつた場合であつて従つて無謀操縦ではない。然るに原判決が無謀操縦なりとして被告人を有罪に処したのは法令の解釈を誤つたもので原判決には擬律錯誤の違法がある。

被告人小堀功の控訴趣意

正式裁判による判決は不当であるから再考慮して無罰とする事を請願する。当事件は不服申立書に記載の通り学校趣旨と控訴人の意思を無視して偏見強制的に一方的判断により定めたので妥当でない。従来栃木県自動車運転免許状申請者は全部一定の練習所が定まつて居らないで許可を得る迄の練習所はなく所処でも自由に練習を認め試験の時だけ試験場にて執行する事に定まつて居る実情である依而控訴人は栃木県那須郡南那須村川井中学校教諭にて学校経営上産業教育の振興職業指導の強化に重点をおいて昭和二十九年一月小型自動車一台を購入し、クラブ活動の一環として、教育上運転教諭一名の為め指導上困難を感じて居る次第にて従がつて本校として二名の免許状所有の指導者を教諭の裡から確保することを痛感致し居りました処控訴人小堀功運転技術勉学研究の上に(職業指導担任の為め)免許状獲得申請中にて本校学校行事臨海学園開設に伴い現地視察の目的にて茨城県海岸河原子に赴くに際し免許状所有教諭の側らに同乗なし途中運転技術を五百米程の距離を単独運転でなく総合しての運転の指導を受けたのであります。其の際警察官の取調べを受けたので決して無謀単独運転操縦をしたのではありません以上の次第に付き控訴趣意を提出致します。

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例